どこにいても落ち着きがない

何だろう、心休まるところがないのかといいたいのか
自宅に戻ってネットを眺めていたのですが、ものすごく貧乏ゆすりをしてる自分がいて、とめられないようですし。
ネットをしているとこうお
思えば、外に出ていてもあまり落ち着いたと感じることは少ないし。人と会うことも、なぜか落ち着かないっぽいようです。
まぁ何かに没頭しているときは一番よいようですが、どこにいても落ち着けないとなると、今後の身体の不安があるというかなんと言うか。
ああ、そろそろ寝ろって意味ですかね。明日になればまた元気になるし、寝ます。ぐー

こんなことを考えてた

たまたまこのエントリーを見ていて

教授からのメッセージ

興味がわいたので見ていましたが、なんというか、まじめに見させてもらっています。今の時期が当てはまる感じでもあるので。
基礎研究は長い時間での評価が必要だそうです。論理的にどうこう言えませんが先の現状の歴史がそうだなーと適当なことを思いついたのはさておいて。
で、コンピュータもそう考えたらどうなるかなと思って、コンピュータの今後をふと考えてみたのをアウトプット。
毎度ながら、支離滅裂、かといってまとめようとした節もありますが、個人的な記録ですからまーいいや。

コンピュータの将来
を考える
20年先はどうなってるかな
量子コンピューティングはだめか
10年先はどうだろう
コンピュータは脳内にあるかな
それこそキーワードであるかも
なぜなら、コンピュータとはもともと人間の補助のためにある
ロボットがそうであるように
人間ができない、とても時間のかかることを短時間で行うのが目的
そうして時間、距離を掌握してきた
どんどん身近になる
人とどうか、常に人と一緒になる。
きもいとかいってるやつは、携帯がその例だとしらない
そうして、人間が物理的にできないことを論理的だけどとても広い空間を自由に行き来できる。
そうして、新たな人との出会いとかの演出ができたりもする。
つまりコンピュータは人と人とのハブである
自分にとってのハブであるように
たとえば、計算をしたい、計算を命令、自分ハッピーみたいな
コンピュータといったけど、論理的な定義はみんなそれにつながっていくのかなと思う。

こうして考えてちょっと不安
人本来の能力の低下とか
人対人コミュニケーションもそうだし
体もそうだ
でも人と直接コミュニケーションするのがつらい現状の進化のひとつか
実は人対人の扱いも、そうすればいいんじゃねとか気がついて
そしたらどうなるかな。ギスギスもなくなるのか知らんけど。
人間の本質とかよく言うけど、人間が本来の(動物)としての姿を見せれないほどこの世は何に縛られているのかしらんけど
ネットがその先だったら、ある意味破滅か。
考えすぎた。やめた

今後はどうなるかな。
わからん

そういえば、こうやって思いついたことをひたすら書いて、その後に書いたキーワードから推敲するってやりかたって、ブレーンストーミングっぽい手法というべきですかね。
論理的にまとめるいい方法があればなーと思いながら、そこまで今は考えていないところで、手当たりしだい書くのを楽しくできればいいなーと思いつつ。