駄文 何に価値を見出しているのだろう

駄文かつ長いです。思うままに書いたエントリー。

 医療関係者が、あまり報われないというものをよく聞く。職場環境は最悪、心身ともに疲れ果てる。が報酬が割りに合わない。
 技術者も同じ状況にありつつという記事があった。

だから技術者は報われない:ITpro

利用者が望んだから?

 そうなってほしいと願ったのは、利用者である。
ただ使えれればよい。そこにあるから使う。それは何も問題ない。だが、そうして利用者重視の環境が作られ始めて、生み出す人たちが過酷な条件を求められている。
そこにあるものがどうやって出来て、どうやって維持されているのかを理解しないのである。
 あ、そこに価値の高いものがある。儲けた!とか。些細もないもので喜ぶが、そこに何が働いているのかを理解する気はないのだろう。
そんな人たちが増えている気がする。少なくとも周りの友人はそんなのばかりだった。そして僕もその一人だ。
 そう考えると、企業は奴隷なのかもしれない。属している人も奴隷。
そしてそれを利用する人が王様か。だが、その利用者もどこかの奴隷のはずだ。そういう関係なんだ。難しい関係だな。
ただ、王様が多すぎてきているのかもしれない。利用者主導で価値は変わる。けど奴隷は奴隷のままで何も報われていないのじゃないか。
 現代人も、やっていることは結局昔と変わらないのだろう。格差社会とはそういう意味なのかもしれない。だから問題視されるし、だから解決しない問題なのか。

だからなんだといわれると

 考えきったのはここまで。結局何をすればいいかといったら、この関係を出来るだけイーブンにすべきなのかと思う。でも人の属性が複雑すぎて、解決する問題ではないんだろうかと悩んでしまった。
単純に、技術屋が対価をちゃんともらえれればいいわけだけど。利用者が望めば、技術屋は報われる。そんな社会が出来ればいいのになあと思うのだけど。そこの仲介する何かが問題なのかといったら、また問題の定義が変わりそうで・・・

何に価値を見出すか

 複雑なのは、どの人にも共通できる価値がないのか。貨幣と時間が一番ありそうだけど

 ニンテンドーDS用のソフト『脳を鍛える大人のDSトレーニング』は、「販売されたDS用ソフトの1割弱は脳トレ」というほどの大ヒットとなり、それを監修した東北大学川島隆太教授には巨額の監修料が入ることになった。ところが、川島教授はその全額をそっくり東北大学に納めているらしい。英国のニュースサイトによれば、その報酬額は24億円にのぼるという。

価値で思い出した。

 価値はほかにもたくさんある、十人十色だ。そうなると価値の等価交換が出来ればいいのかな。貨幣だってレートがあるんだから、変動性が必要なはずだ。
そこで仮説を立てると、日本人は価値に縛られすぎているのかな。特にその価値が下がってしまうことに怖がる。
でも、時代が過ぎれば人も変わるし、価値も変わる。変わらない価値があるといわれるけど、そんなのは、何百年先になったらわからないかもしれない。(その先に答えがあるかもしれないけど、自分じゃ確認できないし、そのときの人たちにも別の価値がある)
 だから、常に新しい価値を生み出さなければいけない。いつまでもその場所で居座っても、だめなときはだめだし。捨てろとは言わないけど、何か新しいアクションは興すべきだろうか。
 人が作る価値の不動性はあまりない。人それぞれで時代で変わる。だから時代に合わせないといけないし、逆に時代に合わせないで価値を見出すとか、価値の大きさや方向を常に変えていかないといけない。

無理やり結論

 何に価値を見出せばいいのかといわれたら、どうせみんな違う価値を持ってるんだから、自分の価値をどんどん広げればいい。それで生まれる何かが、流れを変えるはずだし。
結局今のままじゃんかといわれたら、おしまいというか・・・なんか問題定義しておいて申し訳ない気分です。でも、そう考えたら面白い。
 ネガティブな記事を書くつもりが、最後にポジティブに落ち着いてしまったwww
そしてどこかに戻ったという印象。