リアルとネットのコミュニティの違いを考えてみた。

なんとなく思いついたのでメモ。

人と付き合うと

友人と遊んでたり、勉強してたり、とにかく付き合ってると、どうしても、気分が乗らないときがある。
そんな時ばかり出なくて、普段は一緒にいて楽しいし、バカやるのも悪くないし。その気分が乗らないということは一瞬だと思う。いやたぶん違うかも

ネットとの違い

ところで、ネットをはじめてから、2ちゃんなんかのネットコミュニティがずいぶん居心地のよさを感じているわけですが、なんでかなーと考えました。
それは、気が乗らないときに"自由"に拒絶することができること。
リアルでは一定以上の拘束があるけど、ネットではその時間は関係なくて、いつでも自由に参加できること。
現実では、もちろん人と触れ合う時間がそのまま拘束されている時間と考えれます。
Mixiはやたら疲れる人がいるらしいけど、リアルの感覚をそのままネットで再現しているから余計に時間拘束が増幅してしまうのだろう。気疲れも当然なのだろうと。

だからこそ生きる?

それでも現実の生活が大事といえば大事。生きることはつまり現実なわけで、生きることの前提があってこその仮想空間だろうし。
もし、この形が逆転したらどうなるだろうか。仮想空間にいるだけで、自由にコミュニケーションが取れる。時間も距離も関係ない。
いや、実はその二つぐらいで、後の関係性によって結局はあまり変わらないのかもしれない。
逆転に考えることで、利点が欠点に早代わりすることもある。好き勝手にコミュニケーションを取れるのだから、人格の格差が早まる。そうか、そこにも格差は存在するのか。
そこに格差が生まれてしまったら、もう人は人とコミュニケーションをとれないのかもしれない。だからこそ、現実は最終防壁なのかもしれない。

匿名の利点を考え直す。

そういえば、これは匿名のおかげでなせる業であるわけで、ハンドルをもたれると共有するものが増えるので、自由が狭まる。
足かせが増える。そういう意味で匿名掲示板はまさに自由空間。こういうネットの文化(というか仕組み?)は貴重で大事だなーとまじまじと実感しています。


ネットも利点はすごいと感じる。今のところ現実に何か利点があるかというと、まだそれほど年も取ってないし(といいながら人生の1/4過ぎてる、やばいな)、それほど人と親密に触れ合うことが少なかったので、まだ答えはありません。
それを悲しいと取ることもまだまだできないわけで、そう思うことに、まだまだ人生を楽しんでいないなーとちょっともったいないなーと感じたり。


そんな、もやもやした感覚からの今日の思う日記。