友達を作ることが面倒

人と喋るのが面倒
人とコンタクトを取るのが面倒
人に気を使うのが面倒
人のことを考えるのが面倒


これは全部自分に対しては逆に取れるんじゃないかと思った。

自分を喋ることは好き
自分を表すことが好き
自分のことには気を使う必要がない
自分のことを考えるのが好き

あー俺だなーとまじまじと見てしまっているんですが。


mixiとかでフレンド登録申請が出来ない→それは面倒って思ってる ことなのかもしれません。
でもなんだろう。これを面倒って思うこと自体、病気(障害)なんでしょうか。
そんな風に、自己を保護しようとする考えも自分一番に考えている心理なのかもしれません。
友達を作りたい。そう願うこと自体が自己中であるということ。


追記

自己中心と障害ってなんか関係あるのかとそのままグーグル先生に投げてみるとこのサイトを発見

DSM-Ⅳによる自己愛性人格障害の診断基準の第2項には、『限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想に囚われている』とあるが、多様な性格特性や行動パターンを示す自己愛性人格障害の中核的特徴の一つが『他者に対する自己顕示欲・承認欲求の異常なまでの強さ』である。

自己愛障害(自己愛性人格障害)に見られる“自己中心性・承認欲求・脱価値化・カリスマ性” カウンセリングルーム:Es Discovery/ウェブリブログ

自己愛性人格障害の人の求めているものは、一般で考えられているような自閉的で内向的な自己満足ではなく、『自分の価値(魅力・権力・業績)を積極的に認めてくれる他者』なのである。

自己愛障害(自己愛性人格障害)に見られる“自己中心性・承認欲求・脱価値化・カリスマ性” カウンセリングルーム:Es Discovery/ウェブリブログ

他人の気持ちに配慮できない自己愛性人格障害を持つ人の多くは、『親密な人間関係(共感的な社会環境)』から疎外されているという漠然とした孤立感を持っている。だが、自分の判断を合理的に正当化する自己愛が過剰な為に、『自分の価値を認めてくれない相手には価値がない』という脱価値化の心理機制を用いて巧みに孤立感の不安から自分を守っている。

自己愛障害(自己愛性人格障害)に見られる“自己中心性・承認欲求・脱価値化・カリスマ性” カウンセリングルーム:Es Discovery/ウェブリブログ

とまぁちょこちょこ見てると、あー俺って病的な自己中だったのかなーと考えてしまいました。たまたまそのときに思ったことだけで決め付けるのは早いんですが。
これが病的だと考えるなら、僕は間違っていると感じます。いや多少の迷いはあります。迷ってる時点でおかしいのかもしれない、のかちょっとわかりませんが。
真剣に考えるべきことなのかどうなのか。正直今の状態では区別はつけられそうにないです。 こうやってずるずる引きずってるのだろうなぁ。

一つ思うに

こうやって調べていても、あんまり自分のためにはなっていないだろうという印象がある。
こうやって調べて自己満足しても、解決したとはいえないような。