感覚的思考の話について感想なんか。

登 大遊@筑波大学情報学類の SoftEther VPN 日記:論理的思考の放棄にて 感想をひとつ
興味深いエントリー、読ませていただきました。
何か、雲の上にいる人の考えのように聞こえもしないのですが、私はこうも思いました。


こういった感覚的な思考というのは、職人に通ずるものがあるのではないでしょうか?
ひとつのものを作るのに、こういった解法があり、これを重ねることによって解決する。 こういった考えというのは職人でないとわからない。
基礎の積み重ねさまざまなtipsそしてそれを無意識にアウトプットする
私の職人というイメージがこんなものなので、こういった思考というのは、職人に当てはまると考えたわけです。


うちの親父は、CADの設計をしてる人なんですが、PCの知識はないです。
でもソフトをどう動かすかがわかるので、何も問題なく仕事している人です。
まず親父さんには、長年にわたってその職種の基本が備わっています。その知識を使って設計しているわけですが。
PCの基礎的な使い方がまったくわからずとも、テクニック集やらデモムービーで勉強しています。つまりはHOW TO的です。tipsをよく読んで実践してることです。
(PCの使い方というのは、この場合だと論理的だと思いますが、職人が自分の使っているブラックボックス化された機械を知らずとも使い方がわかれば問題なしといった具合です。)


で、まとめると、感覚的な思考というのは、その専門(カテゴリー)の全容をある程度把握していて、tipsで動かして、そのtipsを無意識に組み合わせで成り立ってるといったことなんじゃないかと思います。

解決できない問題として

その全容を把握するのにどれほど時間がかかるのか、人それぞれで違うので、この辺がポイントなのかもしれません。
また、どこまで全容を把握すべきなのかは、すでに基礎が固まっており、HOW TOでやれることを覚えていくので、この辺は自分の好奇心に左右される可能性が在るんじゃないかと思います。
じゃぁ基礎というのは、どこからが基礎なのか?というと、あれ なんだろう、なんだろうなぁ・・・

論理的に思考することって

ひとついえることとは、論理的に思考するということは、あくまで知ってれば得をする程度の話なのかと思います。。PCの仕組みがわかっていれば、OSの仕組みがわかっていれば、トラブルを解決できる程度な話。
んで、この論理的思考というのも、いずれは感覚的思考に吸収されるのではないかと、感覚的に考えています。 なぜなら、その論理的思考が一般化されることよってそれ自体がtipsになるからです。数学で言うと、方程式と一緒な気がします。


ということで

頭から変な汁が出るぐらい考えてみて、この辺が限界でした。もう文章的には破滅的です。
いずれ感覚的思考の詳細をを文章にする際に、役に立てばいいんじゃないかと思いまして書いた次第で在ります。
つーか脳内物質のバランスが崩れた人間の書いたエントリーなので、役にたたなそうな。そんなエントリーを書いてる俺なんなんだろうかと少々自問自答をしてみたり。

追伸

思いついたらまた追記でもします。(しかし私は一度書いたエントリーは放置する癖があるので多分このエントリーも書きおいておくことになり(ry)
なお、トラックバックは、登 大遊@筑波大学情報学類の SoftEther VPN 日記:論理的思考の放棄2に打ちました。できれば見てもらいたいという欲がちょっと出てるからなんですが。